夢日誌 〜記憶〜

記憶している夢を記録する

淵にある希望

古い雑居ビルに似た建物に挟まれ細く狭い。昼夜の区別も付かないほど暗く湿っている。臭いが感じられるのであればカビの臭いが鼻を突くであろうその見知らぬ路地を、僕は一人急ぎ足で歩いている。
目的地はある。目的もある。しかしその場所への正確な行き方はわからない。どこにあるかもわからない。突き止められない罪悪感から逃げ追われるようにただただ執着を探し歩くが、辿り着くのは同じ場所。歩いても、また歩いても、薄暗い同じ場所に僕は戻される。
辿り着けない。そこに行けない。それを誰に伝える事もできないとうつむき嘆いた。

 

悲壮の中突然、視界に収まらない程の広場が現れた。水が溢れ緑に囲まれ、とても心地の良い理想的な場所。陽の光がキラキラと輝いている。僕はその入り口に立っていた。
目先には白い日除け帽子を被り白いワンピースを着た穏やかな表情をした女性。後ろ姿ではあるが笑顔だとわかる人々。空間を包みこむ笑い声が見えた。
湿りきった心一杯に染み込ませるように、僕はその場の空気を吸い込んだ。放たれた幸福感を胸に僕は見上げる。透き通るような薄く青い、大きな空が見えた。左目の端には樹々も微かに霞んで映る。心の緊張が解きほぐれた気がした瞬間だったーーー

 

心に染みた安堵感を吐き出している時、青い空の後方から身近ではない重音が轟いてきた。視点は無意識にその重音を見ていた。確実にハッキリと、強くなるのがわかる。同時に金属性の何かが目に飛び込んできた。ジェット機や宇宙船に似た形をしているが、瞬時には何かとわからない。僕もその場にいる人々も立ちつくし、記憶を辿りながらぼんやりとそれを追っていた。そこの誰もが重音の持ち主である事だけはわかった。飛来体は広場の向こう側に建てられた近代的な建物群を越えて行く。
視界から消える直前、右手人差し指を青空に刺した一人の女性が叫んだ。耳の奥まで響く不愉快な叫び声。絶叫し発したその言葉に、その場にいた全員が瞬時に終末世界を見た。そして人でなくなった形相で逆方向へ逃げ狂いだした。

ミサイルだーー!!!


幾つもの悲鳴と混乱が交差する。男女の声も顔も判別できない。死と崩壊に直面した恐怖で僕は声が出なかった。
『逃げろ!』と僕からの指令が来るより先に脳裏に浮かんだのは、妻と息子だった。

一方通行の人々の嵐の中を僕は逆走した。その先に僕の目的地があったからだ。
広場の外には高層の建物がある。その中の一つに僕の幸せが住んでいる。最上階から2つ程下の角の部屋を見で追いながら僕は前に横に走った。伝えなければ、助かってくれ、無事でいてくれ、早く避難してくれ、と祈りながら走った。その最中、視界に入っている全ての建物が逆撫でを始めた。剥ぎ取られた瓦礫は爆風に乗って上空へ飛散している。巨大な津波が押し寄せてくるかのようだ。目を奪われた。爆発音と閃光は確認できなかったがミサイルが炸裂したのだ。凄まじい衝撃と爆風が、人々も澄み切っていた青い空も重力も、全てを飲み込み破壊しだした。大地が揺れ地鳴りが響く。その光景はいつか観た終末映画そのものだ。現実とは思えないが例えようのない湧き上がる絶望感は現実だった。
僕は再び角の部屋に目をやった。暖色の明かりが灯っていた。閉め切られていたカーテンを開きガラス越しに世界を見下ろす妻の姿が見えた。
『いた!逃げてくれ!助かってくれ!』
幾度と妻に向けた。しかし僕の叫び声は僕の中でしか木霊しない。いくら叫んでも届かないのだ。一気に建物の外壁が両側から上空へと吹き飛んでいく。狭間には妻がまだそこにいる。僕はたまらず下を見た。『もうダメだ…!』目を上げると妻はまだ無事でいた。『良かった…!救われた…。』そして無意味だと思いながらも携帯を手に取り妻にコールする。やはり繋がらない。再度部屋を見るが妻の姿はない。割れた地面を目にしながら地鳴りと共に絶望感が増していく。その瞬間、妻のいる建物の上層部が僕の心と一緒にバキンと音を立て裂け落ちた。破裂するかのように。全てが崩落してしまった。

僕の全ては瓦礫と煙埃にまみれた。何もできなかった。最愛の妻子を救う事ができなかった。
呆然とし瞑りたい僕の目がふと前を見た。僕は声を殺し目を見開いた。
そこには息子の手を連れた妻が立っていた。身体には鞄を二つ掛け、軽い声でこう言った。
「必要な物は持ったから、大丈夫だよ。」
目元は厳しいが、何事もなかったかのように平然を装う表情を浮かべていた。
その顔を見た僕は何も言えず泣き崩れた。熱を帯び亀裂の入った地面に手を付き、安堵し、ぐしゃぐしゃに泣いた。

そして僕の中に滞在していた恐怖も絶望も失望も、爆風が夢の彼方へと運んでくれた気がした…。